国民形成と学校教育ー東北地方における言語の国民化

特集 「タイを鳥瞰する」 司会:玉田芳史(京都大学)

発表者:野津隆志(神戸商科大学)

表題:国民形成と学校教育ー東北地方における言語の国民化

発表内容:

本発表では、東北ヤソトン県で行った調査に基づき、タイの小学校教育における国民形成をタイ語(中央タイ語)教育と普及の側面から検討した。

発表では、マクロ・レベル(国家政策、経済構造、情報通信メディア、伝統的文化構造)とコミュニティ・レベル(学校、家族、仲間集団、仏教寺院、 テレビなど)にある多様な意味付与主体(エージェント)の折衝過程のなかでいかにタイ語教育が展開するかという「言語習得をめぐるマクロ・マイクロ・リン ケージ」の視点から検討を行った。

1.子どもの生活と言語習得

調査地の子どもの中央タイ語習得には、次のような1980年代以降の社会変化が大きく関与している。

  1. テレビ・ラジオが普及し、中国劇、ホームドラマ、アニメなどが人気番組となって いる。子どもは幼年よりテレビを通して中央タイ語の音声に接している。
  2. 電話が設置され、村内女子中高生の「電話リクエスト」に典型的に現れるように、 中央タイ語使用機会が増加している。
  3. 親の出稼ぎによる外部との往来が増加し、子どもがバンコクへ行き中央タイ語を使 用機会が増加している。
  4. しかし、小中学生の購入書籍数から見ると子どもは家庭ではほとんど活字文化にさらされておらず、書記言語としての中央タイ語を学校外部から習得する機会は少ない。

2.小学校における中央タイ語の習得過程

学校活動場面ごとの使用言語を調査した結果、次のような学校空間による使用言語の差異が見られ、子どもは教室内で教師とのインターアクションから中央タイ語を習得していることが分かった。

  1.  (1)教室内の言語使用:中央タイ語が教授-学習言語で一貫して使用されている。
  2.  (2)教室外の言語使用:イサーン語が支配的である。
  3.  (3)教師の指導技法:発達段階的差がある。幼稚園段階では、日常的な活動の中で「自然に」中央タイ語使用ができるよう促されているが、小学校授業では 中央タイ語使用をある程度強制されている。小学校授業では、「タイ語」教科授業を中心にパターン化した指導技法から中央タイ語を学習している。

3.考察−言語の国民化を促すメカニズム

調査地の子どもの言語習得の検討から、学校は単独で言語の国民化を達成することはできず、言語生活全体の変容と相まってはじめてそれが可能となるという 相補関係の重要性が指摘できる。調査地の子どもの言語習得メカニズムを、この研究の枠組みに沿ってマクロ・レベルとコミュニティ・レベルに整理すると、国 語習得を促す要因群はA.B.C.の三経路に整理できる。

A.<文教政策><学校・教師>経路:マクロ・レベルにある言語操作の決定主体である国家が展開する<文教政策>とコミュニティに設置された<学校>の両者は、カリキュラムと教科書に具体化される国語教育を通して、子どもの国語習得を主導している。

B.<マスコミ><テレビ・ラジオ>経路:1980年代に入り村落電化が完成して以来、村の村民の最大の情報メディアはテレビとなった。現在、子どもは幼年期から毎日テレビを見て成長しており、日々中央のことばを耳から摂取する言語生活をこの経路がつくった。

C.<経済構造>、<外部世界との往来>経路:バンコクへの出稼ぎは、間接的に子どもの移動と言語変容を促している。小学生がバンコクや他県へ就労している親族を訪問する機会が増加し、子どもの時から学校以外で中央タイ語を使用する機会が急増している。

東北タイの<伝統文化構造><仲間集団><家族>経路は、イサーン語習得を促し、家族生活や子供同士のイサーン語による日常言語コミュニケーションを支 えているが、近年のマクロ世界の変動に影響を受けて、中央タイ語の使用機会や習得への動機づけはますます高まっている。相対的にイサーン語への意味付与は 否定的なものになり、今後二言語の勢力範囲の変動が予想される。