日本タイ学会 役員(2007年7月から2008年6月まで)
会長(1名)
小野澤正喜
理事(アイウエオ順)
赤木 攻
加藤久美子
北原 淳
黒田景子
櫻井義秀
佐藤康行
末廣 昭
鈴木規之
田坂敏雄
玉田芳史
馬場雄司
速水洋子
平田利文
船津鶴代
松園祐子
吉野 晃
監事(2名)
吉田幹正
福井捷朗
小野澤正喜
赤木 攻
加藤久美子
北原 淳
黒田景子
櫻井義秀
佐藤康行
末廣 昭
鈴木規之
田坂敏雄
玉田芳史
馬場雄司
速水洋子
平田利文
船津鶴代
松園祐子
吉野 晃
吉田幹正
福井捷朗
赤木 攻
小野澤正喜
加藤久美子
河森正人
北原 淳
黒田景子
櫻井義秀
佐藤康行
末廣 昭
鈴木規之
田坂敏雄
玉田芳史
馬場雄司
速水洋子
平田利文
船津鶴代
松園祐子
吉野 晃
吉田幹正
福井捷朗
北原 淳(神戸大学)
赤木 攻(大阪外国語大学)
池本幸生(東京大学)
小野沢正喜(筑波大学)
佐藤康行(新潟大学)
末廣 昭(東京大学)
鈴木規之(琉球大学)
田坂敏雄(大阪市立大学)
玉田芳史(京都大学)
野崎 明(東北学院大学)
鳥場雄司(三重県立看護大学)
平田利文(大分大学)
福井捷朗(京都大学)
村嶋英治(早稲田大学)
吉田幹正(アジア経済研究所)
吉野 晃(東京学芸大学)
木村滋世(久御山高校)
山本博史(協同組合経営研)
石井米雄
市川健二郎
この夏(1998)の7月の「第9回タイ・セミナー」第1日目(19日)の研究会の場で開催された「日本タイ学会」設立総会で、はからずも会長に推薦されました。
「タイ・セミナー」発足以来ずっと出席いただいてきた市川健二郎先生、石井米雄先生をさしおいて、若輩の小生では厚かましい、とも思うのですが、考えてみると小生もあと6年半で定年の年令となり、けっこう馬齢を重ねてしまいました。
かくなる上は、なるべく早いうちに、他の方に代わっていただくまでのつなぎとして、会長をお引き受けするのも一考かと決意いたしました。
思えば、「タイ・セミナー」と称して、第1回の合宿研究会を関東と関西の中間地の蒲郡、「ホテル竹島」で開催したのは 1990年のことでした。
そのときの6月30日付けのセミナー案内の挨拶は、赤木攻氏と小生の連名により、以下のような文面となっていますが、この発足時の精神は今もほぼそのまま通用すると思います。
世話人二人は、かねてから、日本国内でのタイ研究者の意見交流の場が必要な時期に来ていることを痛感して参りました。
かつて、国内のタイ研究者がほんの数人だった牧歌的時代には、個人的な接触を通じて、十分に意見交換や教育・研究が可能でした。
しかし、このところ、特に若手の世代を中心として、急速なタイ研究者人口の増加と研究テーマの細分的専門化とが感じられます。
ところが、研究者はややもすると、「タコツボ」で自閉症に陥ったり、あるいは周辺によき相談相手を見いだせず困っているのが現状かと思います。
正直に申して、国内のタイ研究は、集団的に世界やタイ国内の研究水準を踏まえ、これを高めるという段階には至っていないように思います。
諸学会において報告発表がなされても、必ずしも内容を的確に評価し、それをさらに高めるような討論者がいるとも限りません。
専門家の多い「東南アジア史学会」にしても十分とはいえないと思います。
限られた領域の専門家同士が切磋琢磨して論点や事実認識を掘り下げ、タイ研究全体の水準を高める場が必要なゆえんです。
すでに、東南アジア地域別の国別研究会・学会の動きが国際的に国内的にもあることは皆さんご承知の通りです。
タイ研究でも、「国際タイ学会」が3年に1回開かれておりますし、お隣の韓国には常設の「韓国タイ国学会」があります。
数年前に日本でも「学会」を結成しようという意見が一部の人から出ましたが、これは恒常的な会議となるため、運営上の諸問題が予想され、時期尚早という雰囲気に落ちつきました。
そこで、「国際タイ学会」にならって、常設組織はおかず、今年から、とりあえず都合のつく人で集まって、タイ国・タイ族に関する合宿勉強会を始めてはどうかと考えます。
この勉強会を仮称として「タイ・セミナー」と呼ばせていただきます。(後略)」
もしつけ加えるとすれば、今日では、日本のタイ研究の水準が格段と高まり、国際的に遜色ない作品もふえてきて喜ばしい限りだ、という点でしょう。
さて、9回にわたる「タイ・セミナー」の活動を振り返ってみたいと思います。この間の活動といえば、毎年7月の合宿研究発表会を、「続けること自体に意義がある」という石井先生の励ましのお言葉に元気づけられて、根気よく続けてきたことに尽きます。
最初40人程度だった参加者も、最近では70~80人に増えました。参加の呼びかけ対象者も、これまた120名から今では230名とほぼ倍増です。
また特記すべきプロジェクトといえば、1996年の第6回国際タイ学会(チェンマイ)にあわせて、日本のタイ研究の状況と水準を世界に発信するため、
「日本におけるタイ研究」 (北原、赤木)、 「歴史」(飯島、加藤、黒田)、 「人類学」 (馬場、速水、西井、谷口、吉野)、 「経済」 (池本、宮田)、 「教育」 (村田)、 「法律・政治」 (永井、高橋)、 「タイ語」 (宮本)、 「社会」(鈴木)、 「タイ文学翻訳」(宮本)、 「考古学」(新田)
の順で、括弧内の分担者にお願いし、各分野の業績リストを作り、日本の研究動向をフォローしたことです。
その結果は、住友財団の援助をいただき、北原・赤木の共編で、”State of Thai Studies in Japan”という報告書に印刷し、第6回国際タイ学会でも配布することができ、注目されました。
日本のタイ研究に対する国際的影響を無視し、国内的要因を強調しすぎてオーバー・ナショナリスティックだという批判も一部からいただきました。
もちろん、こうした批判は大事に受けとめますが、「タイ・セミナー」だからこそ出来た最初の試みであり、今後の同類作業のべ一スを築いた点は評価されてよいと思います。
ただ、組織上の問題点はあります。
「とりあえず都合のつく人が集まって」、ネットワーク的組織原理に徹してきたタイ・セミナーの泣き所は、まず運営費用です。
最近では、200名以上のタイ研究者に案内状を送る郵送費からして相当の額にのぽります。
これは、事実上、セミナー参加者が負担した参加費から捻出せざるをえない状況でした。
また事務局は、学会式にいえば、学会事務局と大会事務局を兼ね、会計係も兼ね、すべてを引き受けた形になり大変な重荷でした。
さらに、その他の役割も、数人の世話人をも含めて、分担があいまいでした。
常連有志が定まり、その範囲で、土壇場になって報告プログラムを決めたりしがちででした。
ただし、恒例の懇親会の名司会役は吉野先生、締めくくりのローイ・クラトン踊りの名歌手は石井先生→赤木先生というように、ハッキリ分担が定着した役もあります。
むしろ善意で運営してきたはずのネットワーク原理が最近では結果的に裏目に出て、全国のタイ研究者全員の組織としての「タイ・セミナー」の正当性を確立し得ず、参加したことのない人からは、一部の者の集まりにすぎないとさえ誤解されることもありました。
過去の実績の積み重ねができ、また組織的問題も出てきた「タイ・セミナー」の学会移行は、こうした経過からみて必然的だと思います。
今後の方針は会員の皆さんとともに考えて行きたいところですが、さしあたり、
(1)広く会貝を募り日本にいる (滞在者をふくむ)タイ研究者が多数の参加の場とすること、
(2)国際的・国内的なタイ研究の各種情報を親しく提供しあう場となること、
(3)タイ研究に進んだ若手研究者に刺激的な場となること、
(4)日本でのタイ研究の水準を一層高めるのに貢献すること、をめざしたいところです。
以上趣旨をご理解いただき、各位の積極的なご入会を心からお願いする次第でございます。
会長 北原 淳
2008年7月6日の会員総会で日本タイ学会の暫定会長に任命され、9月6日の臨時理事会で会長に就任しました末廣昭です。2年間、どうぞよろしくお願いします。
日本タイ学会は1999年(設立総会は98年7月)に発足し、ことしでちょうど10周年を迎えます。また、1990年から始まった「タイ・セミナー」の時代を加えますと、20年近い歴史を有する日本で唯一の、タイを対象とする人文社会科学分野の学会です。歴代会長の北原淳氏、赤木攻氏、小野沢正喜氏のご尽力や、会員の活発な活動のおかげで、会員も200名を超える規模に発展しました。日本とタイの関係はアジア諸国のなかでもとりわけ深く、2006年から2007年には「日タイ修好120周年」を祝うさまざまな事業が、日本とタイの両国で実施され、大きな成功を収めました。その様子をとりまとめた記念本は、在日タイ大使館から会員のみなさまの手元に、すでに届いているかと思います(9月17日にタイ大使館より発送済み)。
タイを訪れる日本人観光客の数は、2007年に120万人を超えました。同年にタイに進出している日本企業の数はバンコク日本人商工会議所のメンバーだけで1259社、実際の数は3000社以上といわれています。政治のほうも、タクシン政権の誕生、反タクシン運動とクーデタの勃発、スラユット暫定政権の成立、2007年新憲法の制定、総選挙の実施、サマック政権の発足とサマック首相の失職というように、タイ研究者を悩ませる(喜ばせる?)ような、目まぐるしい変化を続けてきました。
そのため、タイのあれを知りたい、これを知りたいという人々のニーズは、とても強いものがあります。それだけ、日本タイ学会に対する社会の期待もニーズも高いと考えます。微力ですが、日本におけるタイ研究の発展に少しでも貢献し、会員だけではなく幅広い社会のニーズに応えていきたいと思っていますので、会員のみなさまのご協力を心からお願いいたします。
「抱負」というのも大袈裟ですが、会長就任にあたって、次の5つを向こう2年間の活動の柱に据えたいと思っています。
第一は、学会の基本である年次研究大会をますます充実させていきます。2006年の筑波大学、2007年の北海道大学、2008年の一橋大学と、研究大会は年を追うごとに活発になっています。来年は京都大学での大会を予定しています。世代を横断し、より多くの会員が魅力を感じる新しい企画を積極的に取り入れていくつもりです。
Your browser may not support display of this image.第二は、会員の情報交換の場であり、社会への発信の場でもあるホームページ(HP)を、ますます充実させていきます。すでに7月から、HP担当の益田岳さんの努力で、内容の更新と充実に努めてきました。まずは「新しいHP」をぜひごらんください。『年報タイ研究』に掲載した創刊号以降の全論文(同意者のみ:PDF)、国際タイ学会の英文報告書(1996年、2008年:PDF)、過去の研究大会、ニューズレターなどを、すでにアップロードしました。今後は、サーバーの更新とともに、会員のいろいろな著作を紹介するコーナー、会員が関心をもつ情報の伝言板なども、順次開設していく予定です。
第三は、学会の顔である『年報タイ研究』をますます充実させていきます。雑誌の配布が会員に限定されていたために、掲載論文が会員以外の人々の目に触れる機会がないという問題は、掲載論文のPDF化とHPへのアップロードで解決しました。ハードコピーの方も、受け入れを認めていただける大学・研究機関の図書館に順次、バックナンバーを寄贈していく予定です。また、北原淳氏、加藤久美子氏、馬場雄司氏、速水洋子氏などのご協力で行われてきた苦労の多い編集作業も、「編集・書評チーム」を立ち上げることで、より強力でサステイナブルな体制に変えていきたいと考えています。
第四は、学会の組織面での制度化、透明化を進めます。日本タイ学会はすでに10年の歴史をへていますが、組織としては未成熟な面がいろいろとあります。そこで、2008年9月の臨時理事会で「会則検討委員会」(玉田芳史委員長)を発足させました。1年をかけて会則の見直しを行い、200名を超える会員を擁する学会に見合った体制を構築していきたいと思います。また、今回のニューズレターに理事会議事録を収録したのも、学会の活動の「透明姓」を確保するためです。こちらもごらんください。
第五は、学会の財政基盤の安定化に努めます。日本タイ学会は基本的には会員の会費によって、その活動が支えられた組織です。一方、現在の学会の財政収支は「恒常的な赤字体質」です。活動を活発化させれば当然支出が増え、赤字が増大します。とはいえ、若い学生・院生も多い学会では、むやみに会費を引き上げることはできません。したがいまして、まずは会員のみなさまの会費の納入、新規会員の開拓、賛助会員の確保が大きな課題になります。この点をご理解していただいたうえで、会費の納入と会員の拡大にご協力をいただきますように、お願い申し上げます。
来年2009年には、学会が「日タイ修好120周年記念事業」の一環として取り組んでいる『タイ事典』も、内容とスタイルを一新して刊行される予定です(本ニューズレターの柿崎氏の報告を参照)。「タイの政治はさっぱり分らん!」という声もよく聞きますので、場合によっては公開講演会を開催する必要があるかもしれません。若手研究者を中心とする研究発表会も、要望があれば検討したいと思っています。また、タイ大使館、日本タイ協会、日タイ経済協力協会、泰日技術振興協会・泰日工業大学など、タイ関連団体・機関との連携も、できるだけ強化していく予定です。
2008年9月の臨時理事会で事務局も変わりました。事務局を遠藤元さん、財務を遠藤環さん、HP運営を益田岳さんが、それぞれ担当します。若い院生諸君にも、さまざまな形で協力をお願いしています。さらに、新しい執行部の発足に合わせて、日本タイ学会の英語名称も、「The Japanese Society of Thai Studies」から「The Japanese Society for Thai Studies」に変更しました。英語的には[of]も[for]もどちらも正しいそうですが、[of]は「タイ研究者の集まり」、[for]の方は「タイ研究のための学会」というニュアンスが強く、今後の学会のますますの発展を展望して、9月の臨時理事会で[for]に変えました。
最後に、新体制の発足にあたり、面倒な会員名簿の整理や会員の著作一覧の入力などを、東京大学大学院の建井順子氏にお願いしました。この場を借りてお礼を申し上げます。(2008年9月20日)