「日本タイ学会」発足にあたって ― 入会のお願い
1998年 初代会長 北原淳
この夏(1998)の7月の「第9回タイ・セミナー」第1日目(19日)の研究会の場で開催された「日本タイ学会」設立総会で、はからずも会長に推薦されました。
「タイ・セミナー」発足以来ずっと出席いただいてきた市川健二郎先生、石井米雄先生をさしおいて、若輩の小生では厚かましい、とも思うのですが、考えてみると小生もあと6年半で定年の年令となり、けっこう馬齢を重ねてしまいました。
かくなる上は、なるべく早いうちに、他の方に代わっていただくまでのつなぎとして、会長をお引き受けするのも一考かと決意いたしました。
思えば、「タイ・セミナー」と称して、第1回の合宿研究会を関東と関西の中間地の蒲郡、「ホテル竹島」で開催したのは 1990年のことでした。
そのときの6月30日付けのセミナー案内の挨拶は、赤木攻氏と小生の連名により、以下のような文面となっていますが、この発足時の精神は今もほぼそのまま通用すると思います。
世話人二人は、かねてから、日本国内でのタイ研究者の意見交流の場が必要な時期に来ていることを痛感して参りました。
かつて、国内のタイ研究者がほんの数人だった牧歌的時代には、個人的な接触を通じて、十分に意見交換や教育・研究が可能でした。
しかし、このところ、特に若手の世代を中心として、急速なタイ研究者人口の増加と研究テーマの細分的専門化とが感じられます。
ところが、研究者はややもすると、「タコツボ」で自閉症に陥ったり、あるいは周辺によき相談相手を見いだせず困っているのが現状かと思います。
正直に申して、国内のタイ研究は、集団的に世界やタイ国内の研究水準を踏まえ、これを高めるという段階には至っていないように思います。
諸学会において報告発表がなされても、必ずしも内容を的確に評価し、それをさらに高めるような討論者がいるとも限りません。
専門家の多い「東南アジア史学会」にしても十分とはいえないと思います。
限られた領域の専門家同士が切磋琢磨して論点や事実認識を掘り下げ、タイ研究全体の水準を高める場が必要なゆえんです。
すでに、東南アジア地域別の国別研究会・学会の動きが国際的に国内的にもあることは皆さんご承知の通りです。
タイ研究でも、「国際タイ学会」が3年に1回開かれておりますし、お隣の韓国には常設の「韓国タイ国学会」があります。
数年前に日本でも「学会」を結成しようという意見が一部の人から出ましたが、これは恒常的な会議となるため、運営上の諸問題が予想され、時期尚早という雰囲気に落ちつきました。
そこで、「国際タイ学会」にならって、常設組織はおかず、今年から、とりあえず都合のつく人で集まって、タイ国・タイ族に関する合宿勉強会を始めてはどうかと考えます。
この勉強会を仮称として「タイ・セミナー」と呼ばせていただきます。(後略)」
もしつけ加えるとすれば、今日では、日本のタイ研究の水準が格段と高まり、国際的に遜色ない作品もふえてきて喜ばしい限りだ、という点でしょう。
さて、9回にわたる「タイ・セミナー」の活動を振り返ってみたいと思います。この間の活動といえば、毎年7月の合宿研究発表会を、「続けること自体に意義がある」という石井先生の励ましのお言葉に元気づけられて、根気よく続けてきたことに尽きます。
最初40人程度だった参加者も、最近では70~80人に増えました。参加の呼びかけ対象者も、これまた120名から今では230名とほぼ倍増です。
また特記すべきプロジェクトといえば、1996年の第6回国際タイ学会(チェンマイ)にあわせて、日本のタイ研究の状況と水準を世界に発信するため、
「日本におけるタイ研究」 (北原、赤木)、 「歴史」(飯島、加藤、黒田)、 「人類学」 (馬場、速水、西井、谷口、吉野)、 「経済」 (池本、宮田)、 「教育」 (村田)、 「法律・政治」 (永井、高橋)、 「タイ語」 (宮本)、 「社会」(鈴木)、 「タイ文学翻訳」(宮本)、 「考古学」(新田)
の順で、括弧内の分担者にお願いし、各分野の業績リストを作り、日本の研究動向をフォローしたことです。
その結果は、住友財団の援助をいただき、北原・赤木の共編で、”State of Thai Studies in Japan”という報告書に印刷し、第6回国際タイ学会でも配布することができ、注目されました。
日本のタイ研究に対する国際的影響を無視し、国内的要因を強調しすぎてオーバー・ナショナリスティックだという批判も一部からいただきました。
もちろん、こうした批判は大事に受けとめますが、「タイ・セミナー」だからこそ出来た最初の試みであり、今後の同類作業のべ一スを築いた点は評価されてよいと思います。
ただ、組織上の問題点はあります。
「とりあえず都合のつく人が集まって」、ネットワーク的組織原理に徹してきたタイ・セミナーの泣き所は、まず運営費用です。
最近では、200名以上のタイ研究者に案内状を送る郵送費からして相当の額にのぽります。
これは、事実上、セミナー参加者が負担した参加費から捻出せざるをえない状況でした。
また事務局は、学会式にいえば、学会事務局と大会事務局を兼ね、会計係も兼ね、すべてを引き受けた形になり大変な重荷でした。
さらに、その他の役割も、数人の世話人をも含めて、分担があいまいでした。
常連有志が定まり、その範囲で、土壇場になって報告プログラムを決めたりしがちででした。
ただし、恒例の懇親会の名司会役は吉野先生、締めくくりのローイ・クラトン踊りの名歌手は石井先生→赤木先生というように、ハッキリ分担が定着した役もあります。
むしろ善意で運営してきたはずのネットワーク原理が最近では結果的に裏目に出て、全国のタイ研究者全員の組織としての「タイ・セミナー」の正当性を確立し得ず、参加したことのない人からは、一部の者の集まりにすぎないとさえ誤解されることもありました。
過去の実績の積み重ねができ、また組織的問題も出てきた「タイ・セミナー」の学会移行は、こうした経過からみて必然的だと思います。
今後の方針は会員の皆さんとともに考えて行きたいところですが、さしあたり、
(1)広く会貝を募り日本にいる (滞在者をふくむ)タイ研究者が多数の参加の場とすること、
(2)国際的・国内的なタイ研究の各種情報を親しく提供しあう場となること、
(3)タイ研究に進んだ若手研究者に刺激的な場となること、
(4)日本でのタイ研究の水準を一層高めるのに貢献すること、をめざしたいところです。
以上趣旨をご理解いただき、各位の積極的なご入会を心からお願いする次第でございます。
会長 北原 淳