第28回定例研究会を、11月9日に開催しました。
日時:2019年11月9日(土)10:00-14:30
場所:大阪大学豊中キャンパス
全学教育推進機構スチューデントコモンズ(総合棟Ⅰ)2階セミナー室B
報告①
報告者: 西直美(同志社大学・特別任用助手)
報告タイトル:「タイ深南部におけるイスラーム改革運動と“サラフィー主義”の台頭に関する一考察」
報告②
報告者:岡野英之(近畿大学総合社会学部・特任講師)
報告タイトル:「タイに寄り添うナショナリズム-シャン人移民と武装勢力RCSS/SSA」
【報告要旨1】
西直美「タイ深南部におけるイスラーム改革運動と“サラフィー主義”の台頭に関する一考察」
2004年、タイ深南部において、タイ政府とイスラーム系反政府武装組織との間での抗争が再燃した。これ以降、深南部における紛争が、はたしてアルカイダやイスラーム国にみられるようなグローバルなジハード主義へと展開していくのかという点が関心を集めるようになっている。本発表では、タイのイスラームにおいて一般的に新旧の対立として描かれてきた問題について、それぞれのジハード理解にどのような特徴があるのかという点を中心に考察したい。
イスラーム世界では1970年代以降、政治・社会から日常生活に至るまで、よりイスラームの原典に則った改革を志向する動きであるイスラーム復興が観察されている。イスラーム復興の影響は、タイにおいて1980年代以降に顕著にみられるようになった。タイにおけるイスラーム復興に関する研究は、タブリーギー・ジャマアト(タブリーグ)とサラフィー主義を中心に行われてきた。タブリーグは、超俗的な宣教活動を旨とする北インド起源の組織で、深南部ではヤラー市内に東南アジア最大級のマルカズ(宣教センター)を設置している。サラフィー主義は、高等教育機関を軸にビジネス、チャリティ活動などを通して、とくに都市中間層の間で影響力を拡大してきた。イスラーム復興に伴って生じた動きは、「新しいグループ」の台頭という文脈で論じられ、深南部の伝統社会との間で摩擦を引き起こしてきたことが指摘されている。
タイでよく知られるサラフィー主義者は、バンコクを中心に支持を集めているシャイフ・リダと、深南部を中心に活動するイスマイル・ルッフィである。これらの指導者や、サラフィー主義に影響を受けた人々はしばしば、現地社会において否定的な意味を込めて「ワッハービー」と呼ばれる。ワッハービーやカナ・マイ、サーイ・マイとも呼ばれるサラフィー主義者は、深南部における伝統的な実践をビドア(イスラームからの逸脱)として批判し、マレー・ナショナリズムからも距離を取る。サラフィー主義が過激主義の代名詞として用いられることが多いなかで、タイにおいてサラフィー主義者はタイ政府との良好な関係を維持してきたことが知られている。
本発表では、まずタイにおけるサラフィー主義の特徴について検討し、ジハード概念に対する理解を参考にしながら深南部におけるイスラームをめぐる価値観の相違に関する見取り図を示す。そのうえで、ナラティワート県ルーソ郡での現地調査から、イスラームをめぐる価値観の相違と“サラフィー主義”の台頭の背景ついて考察する。ルーソ郡は、深南部のなかでも特にマレー・ナショナリズムが強い保守的な地域の一つとされ、深南部で展開する戦闘員のほとんどを掌握するパタニ民族革命戦線(BRN)の誕生地としても知られる。サラフィー主義の台頭と伝統社会との摩擦は、これまで新旧の対立としてのみ描かれてきた。しかし、ジハード概念を通してみてみると、相違点のみならず共通点も明らかとなることを指摘したい。
【報告要旨2】
岡野英之「タイに寄り添うナショナリズム-シャン人移民と武装勢力RCSS/SSA」
本発表では、ミャンマー(ビルマ)内戦の中で武装勢力がいかに隣国タイと関わってきたのかを論じる。特に本発表が取り上げるのはシャン人を主体とする武装勢力である。シャン人は、タイとミャンマーの両国に分布しており、いずれの国でも少数民族の立場にある。シャン語がタイ語と近いこともあり、タイからミャンマーへの移民の流れがある。少なくとも19世紀から移民の流れは見られ、その流れは現在まで続いている。これまでの研究により、シャン人移民の流れやタイ社会における彼らの位置づけの変化は、ある程度、明らかにされてきた。しかし、移民の流れがミャンマー(ビルマ)内戦といかに関わっているのかは十分検討されているとはいえない。ミャンマー内戦の研究蓄積は多いものの、ミャンマー国内の動きを把握することが中心となり、隣国との関わりまで十分に検討できていないからである。
筆者は、2016年以降、チェンマイを拠点として断続的に調査を重ねてきた。シャン移民・シャン系NGOや市民社会団体(Civil Society Organization: CSO)、武装勢力関係者(および、元関係者)・亡命政治家にコンタクトを取り、ライフヒストリーを聞き重ねた。調査ではチェンマイの都市圏内だけではなく、タイ北部各地を回った。国境地帯に行くときは、紹介者のツテで数日訪問するという形を取った。その結果見えてきたのが、ここ数十年にわたる移民の流れである。本発表では、精度が低いものの、全体像を把握することを重視したい。
本稿で強調したいのは、断続的に続くミャンマーからタイへの移民の流れと、国境地帯における武装勢力の活動が互いに関わり合いながら進展していることである。シャン人移民のあり方は時代とともに変わってきている。1990年代初頭までは武装勢力がタイ領を用いることが可能であり、タイ側に後方基地があった。こうした武装勢力の活動とシャン人移民は連動しており、国境地帯への入植が相次いだ。しかし、1990年代半ばにシャン系武装勢力の指導者クンサがミャンマー政府に投降したことをきっかけに、大量の避難民が押し寄せた。それ以降、都市での就労が目立つようになる。現在では、内戦に伴う避難民の流れも落ち着き、経済移民が主流となっている。国境沿いに複数の拠点を有する武装勢力「シャン州復興委員会・シャン州軍」(Restoration Council of Shan State/Shan State Army: RCSS/SSA)がそうした移民とも密接にかかわっている。RCSS/SSAは、軍事基地でコンサートを開催することでその存在を移民に対してアピールしている。その一方、移民側からも支援が差し伸べられており、基地内に住む国内避難民に対しての援助が各団体や個人によって実施されている。
こうした移民と武装勢力の関係から見えてくるのは、移民と武装勢力とのかかわりが、武装闘争への共感や支援とは必ずしも結び付いていないことである。