2021年度第1回定例研究会は秋期に見送ります

会員各位

先月お知らせしました2021年度第1回の定例研究会ですが、残念ながら報告希望がありませんでしたので、当初第2回を予定していた秋期に持ち越しとなります。

今後の開催予定は下記のとおりです。時期がきましたら改めてアナウンスいたします。皆さまの積極的なご参加をお待ちしております。報告を希望される方は、日向(hinata.shinsukeแอทgmail.comメールを送る場合は、แอทを@に置き換えてください)までご一報下さい。

●2021年度第1回(第32回)
 2021年10~11月頃開催
 開催形式・場所は7月20日迄にアナウンス
 報告希望受付は~8月20日迄

●2021年度第2回(第33回)
 2022年2~3月頃開催
 開催形式・場所は11月20日迄にアナウンス
 報告希望受付は~12月20日迄

定例研究会につきまして(2021年度開催予定と第32回報告者募集)

会員各位

 来年度の定例研究会の予定を下記のとおりお知らせします。
 また、次回第32回の報告者を募集します。次回は5月頃に<オンラインのみ>(Zoom利用)で開催予定です。報告を希望される方は、3月31日までに日向(hinata.shinsukeแอทgmail.comメールを送る場合は、แอทを@に置き換えてください)までご一報下さい。
 先月開催した第31回定例研究会はおかげさまで大変充実した会となりました。来年度も皆さまの積極的なご参加をお待ちしております。

●2021年度第1回(第32回)
 2021年5月頃開催
 前回と同様、完全オンライン開催
 報告希望受付は~3月31日迄

●2021年度第2回(第33回)
 2021年10~11月頃開催
 開催形式・場所は7月20日迄にアナウンス
 報告希望受付は~8月20日迄

●2021年度第3回(第34回)
 2022年2~3月頃開催
 開催形式・場所は11月20日迄にアナウンス
 報告希望受付は~12月20日迄

以上につきまして、ご確認のほどよろしくお願い申し上げます。

第31回定例研究会(2月13日・オンライン開催)のご案内【要事前登録】

会員各位

先にご案内しておりました第31回定例研究会を、下記の要領で開催します。
今回はZoomを利用したオンライン開催となります。参加を希望される方は、
下記のフォームより事前登録をお願いします。ご登録いただいたメールアドレス宛てに、研究会前日までにミーティング参加用の情報をお送りします。

・開催日時:2021年2月13日(土) 13:30-15:00

・報告者:プラティッポーンクン・ルアンリン
    (大阪大学大学院国際公共政策研究科・博士後期課程)
・報告タイトル:「タイ深南部における児童婚について」
     報告要旨はこちら

・登録フォーム(必須):https://forms.gle/6qBZEKAPuftQHFoD9
  ※2月10日(水)までにご登録下さい。
  ※もし、登録したのに前日までに参加用の情報が届かないということがありましたら、日向(hinata.shinsukeแอทgmail.com)までご一報下さい。
(メールを送る場合は、แอทを@に置き換えてください)

以上となります。皆さまのご参加をお待ちしております。

 定例研究会担当:鈴木佑記・日向伸介

研究史聞き取りの会〜赤木攻先生〜

 「タイ研究に携わり50年」

日 時:2019年11月9日(土)15:00-17:30
場 所:大阪大学豊中キャンパス
    全学教育推進機構スチューデントコモンズ(総合棟Ⅰ)2階セミナー室B
語り手:赤木攻先生(大阪外国語大学名誉教授)
     (略歴および研究業績はこちらからご覧ください)
司 会:村上忠良(大阪大学)、遠藤環(埼玉大学)

はじめに

遠藤環:

今日全体の司会を務めます、埼玉大学の遠藤と申します。よろしくお願いします。昨年から日本タイ学会では、タイ研究史を語っていただくという企画を始めております。昨年は友杉先生で、今日は赤木攻先生にお願いしております。司会は大阪大学の村上先生にお願いしております。皆様もご存知の通り、赤木先生は大阪外国語大学の名誉教授でおられまして、学長を務められ、その後東京外国語大学にもお勤めになられたことがあります。それから、この日本タイ学会でいうと、タイセミナーのころからの創設者のお一人で、非常に長い間日本タイ学会を引っ張ってこられた先生です。

今回準備するにあたって、大阪大学による名誉教授へのインタビュー記録と、赤木先生が生い立ちから比較研究史に至るまで寄稿していらっしゃる『クルンテープ』1を読みました。日本タイ学会そしてアジア研究の立ち上がりの頃から、アジア研究が育ってくる過程を引っ張ってこられたので、そういった観点からもお話いただけるかと思います。赤木先生のご経歴は、村上先生にも少しご紹介いただこうと思っております。先週出たばかりの赤木先生の集大成のひとつである『タイのかたち』2が後ろの方に並んでおりますけれども、今日はこの本のご紹介もどこかの時点で少ししていただけるのではないかと思っております。

私の方からは、資料と事務的なことを確認させていただければと思います。大体2時間くらい村上先生の司会で赤木先生からレジュメに沿ってお話いただこうと考えております。最後に30分くらい会場の皆様との質疑応答の時間を取りたいと思います。配布している資料は3種類ありまして、赤木先生に作成していただいたレジュメ、赤木先生の経歴について末廣昭先生が作成してくださった図表の形になっているもの、それから赤木先生の略歴及び研究目録があります。それから学会員の方には、アジア経済研究所の小林磨理恵さんが作成してくださった研究目録がすでに学会のメーリングリストの方で流れているかと思います。目録は実に65ページあります。まだ見ていない方はあとで確認していただきたいと思います。色々と赤木先生が関わっていらっしゃった関係で、今日はタイとの関わりが深い方もいらっしゃっているとお聞きしております。もし目録を後日入手したいという方がおられましたら、終了後おっしゃっていただければと思います。それでは、村上先生にバトンタッチしたいと思います。よろしくお願いします。

村上忠良:

大阪大学の村上と申します。今、外国語学部でタイ語専攻の教員をしております。本日は赤木先生の研究史聞き取りということで、私が司会でいいのかなというのはあるのですけれど、多分私よりもご存知の方が多いと思うのですが、赤木先生のご紹介を簡単にさせていただきます。

私が赤木先生とお会いしたのは、1984年に私が大阪外大のタイ語学科、その時はタイ・ベトナム語学科というところでしたが、そこに入った時に教員として教鞭をとられていて、その時からのお付き合いとなっております。ご存知のように赤木先生は色んな面をお持ちの先生です。当然のことながら大学の教員で研究者ですから、研究者というのが一番の側面で、様々な研究をしてこられました。それ以外の赤木先生の特徴としまして、私いつも横で拝見しているのは、非常に優秀なオーガナイザーです。様々な人と人を繋いで色々な活動をずっとされています。特にタイ、もしくは東南アジア研究において様々な活動をされています。例えば赤木先生や末廣先生たちがお創りになった日本タイクラブや、この日本タイ学会の母体になるタイセミナーという研究者の研究集会、個人的なことを言いますと大阪外大のタイ語専攻の同窓会も、赤木先生にお世話になりながら活動をしています。そういうところで、研究者でもありオーガナイザーであります。もう一つ、赤木先生の人生の中で、アドミニストレーターとしてのお仕事も非常に大きいです。ご存知の通り大阪外大の学長を務められましたし、今は大阪観光大学の学長もされています。そういう意味でアカデミックな組織を管理運営されてきたという、本当に多面なお仕事をされてきた先生です。

今日は日本タイ学会の主催ですので、本当は色々な話をお聞きしたいのですが、まずは先生が研究を志されたところ、特に私なんかも世代が赤木先生より二世代くらい下の人間ですので、若い世代の人たちに赤木先生が研究をずっと続けられてきた最初の立ち上がりのところのお話。もしくは1970年代からタイの農村調査を共同研究でされていますけれども、そういう共同研究のお話からまずお聞きしたいと思っております。大体45分くらいお話しいただいて、私が頃合いを見て少し休憩を入れて、それから続きであと45分くらいお話ししていただけるかと思います。1時間半休みなしで話されるとだいぶお疲れになると思いますので。それでは先生、どうぞよろしくお願いします。

岡山の少年時代と外国への関心

みなさん、座ったままでお話させていただきます。今日は本当に大勢の方に集まっていただきまして、またこのような機会を設けていただきまして、ありがとうございます。とりわけ末廣先生、小林さん、それから遠藤先生、日向先生、本当に学会の大勢の方にお世話になりました。末廣先生には私よりも立派な年表を作っていただきまして本当に感謝しております。今日は生い立ちの方から少しずつ入っていって、タイ研究を始めた動機とかそういったことからお話したいと思っておりますけれど、歳も75を十分に超えまして後期高齢者になりましたので、多分ほとんどのことを忘れております。もし質問がありましたら、質問していただければ思い出すかもしれませんので、よろしくお願いしておきます。

このお話をいただいた時レジュメを作ろうと思って、簡単に作ったものが皆さんのお手元にあると思います。実は私は岡山県の生まれです。本当に寒村で、倉敷の駅から伯備線に乗って、当時ですと蒸気機関車で2時間くらい米子の方に向けて行く途中の、中国山脈のやや山陽側の本当に小さな村で、戸数が15軒か20軒くらいの村に生まれました。私は幼稚園には行っておりません。幼稚園がなかったのです、家の近くに。皆さんはおそらく複式教育を受けられた方はそんなにいらっしゃらないと思います。複式教育といいまして、ご存知の方はご存知だと思いますけれど、2学年が一人の先生から同時に学ぶ。そういう教育を小学校で受けました。ですから「1年生の皆さん算数をしておいてください。さあ2年生の皆さん国語を始めましょう」とか、幼い頃はそういう状況の小学校で学びました。私の出た小学校の名前は足見(たるみ)小学校といいまして、「足を見る」と書きます。なぜかといいますと、私の家は高梁(たかはし)川の近くにありましたが、学校そのものは山の上にありまして、足を見て歩かないと歩けないくらい、つまりものすごく急な坂で、そこを通ったわけです。登るのは1時間、降りるのは10分か15分でした。そういった山の中で育ちました。ですから外国のことは全く知らなかった。周囲は山ばっかりでしたから。

ただ一つだけの思い出とすれば、私の村の中には「株内」というのがありました。株というのはいわゆる木の株ですけれど、株内というのは、赤木の姓の家が一緒になった寄合みたいなものですね。例えば正月の1月1日は戸主が集まって、一に礼を書く「一礼」という、お互いに今年もよろしくというような挨拶を代わり番こに赤木姓の家でやるような習慣(儀式)がありました。それがまたあとで申し上げると思いますけど、タイで農村調査に入った時に「屋敷地共住集団」という家族形態に出会い、比較の対象として自分にとっても随分参考になりました。そのことを考えると、幼年時にそんな田舎で育ったことが、後のタイ研究と関連したことを不思議に思っております。

少年の頃は毎日高梁川で遊んで、ほとんど何もしておりませんでした。外界、外の世界と自分を繋ぐのは、当時はラジオしかありませんでした。それも山の中ですから、NHKともう1局、2局くらいしか入りませんでしたが。そんな経験のある方はもういらっしゃらないと思いますが、電波を合わせるのがものすごく難しいんですね。それをなんとか合わせながらラジオを聞いていました。たまたま私に3歳くらい上のいとこが赤木株内の中にいまして、そいつとよく遊んでいたんですけれど、彼がちょうど中学校に入った頃、私が小学校の5年生か6年生でローマ字を習い始めたかどうかという時に、「おまえ英語知らないの」というわけです。「英語?」と聞きましたら、「お前は知らないだろう、わしは英語を喋れるんだぜ。This is a pen.」とやったわけです。ぼくはびっくりしましてね、そんな言葉あるんかいなと。その後、親に聞きましたら、英語というのはあると。世界には色んな言葉があるというのを教えてもらいましたら、そして、父親がいつの間にか当時のNHKの基礎英語のテキストを買ってきてくれたんです。

それで6年生の4月だったと思いますけど、とにかく朝の6時か6時15分か忘れましたけどラジオを入れて、聴き始めたのです。それが、おそらく外の世界、外国と接した最初だったと思っております。それを分からないままに、これローマ字と違うかと思いながら聴いたものです。中学校に入った時、中学校は30人くらいのクラスが2つありましたけど、父兄の70%くらいは「うちの子には英語は教えてもらわなくていいです、先生」と言っていました。つまり大きくなっても英語を使うようなことは多分ないだろうという。そういう田舎でした。私はちょっと基礎英語を聞いていましたから、1年生の時もなんとなくうまく授業に入っていけたような気がしました。

中学校はだいたい徒歩で30分、自転車で15分くらいかかりました。高等学校は伯備線で4駅か5駅離れた町に通いました。当時は1時間に1本くらいしかなかったのですが、いわゆる蒸気機関車に乗って汽車通学していました。ですから、朝早く出て夜は遅くなって帰ってきました。1本汽車を乗り遅れると1時間か2時間待たなければなりませんでした。

そういった所で育ちまして、さあ、どこの大学へ入ろうかと。1963年のことです。困りまして、親もそんなに裕福でもないしできるだけ迷惑をかけないように国立大に入りたいと考えていました。でも田舎で、どこの大学へ行くといっても都会に行ったことがないから、受験に一人では行けません。私のいとこの一人が神戸大学におりましたので、当時2期校と1期校とありまして、1期校は神戸を受けようと決めました。これはたぶんダメだろう、入学できないだろうと思っておりました。2期校は、大阪におじいさんの弟が住んでいまして、「おさむ、来いや、春場所もあるし、ええよ」と言われたので、じゃあ行こうかと。そんなわけで、親戚のあるところの神戸大学と大阪外国語大学を受験しました。

大阪外大を受ける時には、言語を選ぶ必要がありました。その時に、なぜか分かりませんが、私はアジアにちょっと興味を持っていました。当時、アジアの言語は中近東、アフリカまで含めて10言語くらいは外大で開講されていたと思いますが、その中でくじを引いたところ、タイ語に当たりました。それ以上何もない。ですからタイとか、ビルマとかマレーシアとかについて、それほどその時に知識はなかったのですが、もうどこでもいいというような気持だったと思います。ともあれ、タイ語に当たったというのが、タイ語学科に入学したきっかけであります。大阪外国語大学では、私の時はすでに毎年の募集でしたけど、私のちょっと前まではタイ語やビルマ語は隔年募集でした。毎年募集がなかったわけですね。ですから私の上はいたけれど、1年生に入った時に3年生か4年生はいなかったんじゃないでしょうか。

学年も一学年10人ほどでして、小さな小さな学科でした。私も岡山から出て大阪に行ってびっくりしました。田舎出の子は本当に大変でしたね。もう学校の周りは全部自分一人では入っていけないような建物ばかりでした。当時大阪外大があった場所は、上本町6丁目の辺りです。上本町の6丁目から大学までの間に、パチンコ屋、麻雀屋、暴力団事務所、ストリップ劇場、そんなものばっかりありました。今はだいぶなくなりましたけれど、いわゆるなんとかホテル、あ、ラブホテルという類いですかね。よくワシントンとかパリとかいった都市の名前にちなんだ名前のホテルがありました。午後の授業が終わったら「これからワシントン行くよ」とかいった冗談がよく飛び交いました。本当にあんなところに学校がよく建っていたなと思います(笑)。

ですから最初は怖くて、当時まだ市電が学校の前を走っていましたが、乗ったらどこ行くか分かりませんから、僕は歩いてばっかりでした。祖父の弟が、大学へ歩いて行ける所へ下宿を探してくれまして、そこへまず住みました。私が最初に入った下宿は一間、一部屋だけですね。2階に二つ部屋があって襖で区切られていて、私の隣部屋は3年生のモンゴル語の学生でした。非常に良い先輩で、色々な所を案内して連れて行ってくれましたので、私はなんとか大学生活を始めることができましたが、襖ひとつですから、今のような学生の生活環境とはずいぶん違うと思います。

第29回定例研究会

第29回定例研究会を、2月22日に開催しました。

日時:2020年2月22日(土)14:00-18:00
場所:国士舘大学世田谷キャンパス
   6号館1階6104教室

報告①
報告者:大石 友子(広島大学大学院 国際協力研究科 博士課程後期)
報告タイトル:「タイ・スリン県の“ゾウの村”におけるエレファントショーに関する一考察:クアイのゾウ使いとゾウの関係性に注目して」

報告②
報告者:内住哲生(首都大学東京、人文科学研究科・博士前期課程二年)
報告タイトル:「タイ北部リスの舞踊の変容と継承:2003年の麻薬に対する戦争を契機として」

【報告要旨1】

大石 友子「タイ・スリン県の“ゾウの村”におけるエレファントショーに関する一考察:クアイのゾウ使いとゾウの関係性に注目して」

 本発表では、タイ東北部スリン県の「ゾウの村」におけるクアイの「ゾウ使い」について検討した上で、他者からのまなざしと、ゾウ使いとゾウの個別具体的な関係の中でエレファントショーが作り上げられている様相を考察したい。

 クアイの人々は、タイ国内ではスリン県を中心として居住するモン・クメール系の人々である。その中でもスリン県タトゥーム郡の「ゾウの村」を中心とした地域の人々は、ゾウと共に暮らしていることで知られている。クアイの人々とゾウの関係性については、ゾウ使いによって都市部に連れ出された「街歩きゾウ」が、ゾウの虐待や酷使であるとしてメディアに取り上げられ、社会問題化した1990年代から2000年代にかけて、主にタイ人研究者の学位論文としてまとめられている。そこでは、メディアとは異なるクアイの人々の姿を描き出すために、彼らの社会経済的状況や、ゾウ狩りを中心とするクアイ特有の文化等について論じられてきた。しかしながら、既存の研究においては、ゾウ使いのゾウを統御する側面のみが固定的に描かれてきた一面があり、そもそもクアイの「ゾウ使い」がどのような人々であるのかが詳細に検討されてきたとは言い難い。

 タイにおける飼育ゾウの役割や位置づけの変遷の中で、「ゾウ使い」は、ゾウを酷使・虐待し得る存在や、ゾウをコントロールする存在、そして、ゾウを保護すべき存在としてまなざされてきた。しかし、タイの「ゾウ使い」には公的な免許や証明書は存在せず、法律においても定義がなされているわけではない。また、一般的には「ゾウに乗り、指示を出す人々」が「ゾウ使い」とされているものの、この条件を満たさない人々が「ゾウ使い」と呼ばれることがある。一方で、この条件を満たしていても、「ゾウ使い」ではないとクアイの人々によって言及されることがある人々もいる。クアイの人々にとって「ゾウ使い」は、単にゾウを統御する存在ではなく、ゾウを理解し、やりとりを行う人々として捉えられている。また、ゾウの存在を身近に感じているクアイの人々は、個別具体的なゾウを好きになり、ゾウの個性を知り、ゾウとのやりとりの仕方を身体に内面化していくことで、ゾウと意思疎通を図るゾウ使いへとなっていく。したがって、クアイのゾウ使いは、ゾウとの関係性の中で主体として構築されていると考えられる。

 こうした村のゾウ使いの多くは、エレファントショーを中心とする公的機関による観光開発事業に従事している。エレファントショーでは、他者からのまなざしの中で、ゾウ使いが自らの行動を規律するとともに、ゾウの行動を規律する様子が見られる。一方で、彼らは常に規律の中に身を置いているのではなく、ゾウ使いがゾウの個性を引き出したり、ゾウの突発的な行動に驚かされながらも楽しんでいる姿も見られる。このように、ゾウ使いやゾウに対する権力とともに、ゾウ使いとゾウの個別具体的な関係性が立ち現れることで、「ゾウの村」のエレファントショーが生成していることを本発表では指摘したい。

【報告要旨2】

内住哲生「タイ北部リスの舞踊の変容と継承:2003年の麻薬に対する戦争を契機として」

 本発表では、2003年の麻薬に対する戦争を契機としたタイのリス社会の文化振興運動の隆盛に伴い、リスの人々の大部分に共有された実践である舞踊の位置づけや、その実践の場がいかに変容したのかを、リスの文化振興運動に関する先行研究、およびリスの新年祭と文化振興イベントにおけるフィールドワークから論じる。

タイ北部のリスの人々の伝統的な舞踊は、人々が手を取り合い、輪を成して踊るものである(以下、輪舞とする)。元来、リスの新年祭などの行事の場面で行われてきたこの輪舞においては、これを実践する特定の職能者はおらず、一般の村人が老若男女を問わず、他村からの来訪者をも取り込んで踊る極めて開放性の高い舞踊であり、先行研究では祝祭における社会交流の核として、また男女の出会いの場として位置づけられてきた。しかし、新年祭という場は、リス旧来の信仰である祖霊・精霊信仰と結びついたものであったため、キリスト教に改宗した者の中には新年祭の場に参与しない者もいた。

しかし、このような位置づけは近年変容しつつある。2003年の「麻薬に対する戦争」により麻薬への関与の深かったリスの人々の多くが投獄・処刑されてしまったことを契機として、それまでは起こり得なかった祖霊信仰者とキリスト教徒共同の文化振興運動が隆盛するようになる。これに伴って両者が共に参与し得るような実践の一つとして位置づけるべく、輪舞も信仰を超えたものとして解釈されるようになった。

 実際に輪舞が行われる場の様子も、新年祭と文化振興イベントでは異なる。新年祭においては祖先霊の依り代である「新年の木」や祖先霊への供物の周りで輪舞が行われ、奉納儀礼としての色彩を残す一方、信仰と無関係に行われる文化振興イベントではこうした依り代や供物の存在しない、信仰と切り離された場で輪舞が行われる。また、両者の場に共通する変容としては、リス輪舞を通して、時にタイのリス以外の人々(リス以外のタイ人、他地域のリス、欧米人など)もが輪舞の場に参与するようになった点が挙げられる。

 以上の報告を通して、リスの人々を取り巻く環境の変化に呼応して、輪舞の解釈や実践の場が変容する一方で、今もリスの輪舞が人々の交流を促す実践として受け継がれていることを示したい。

第28回定例研究会

第28回定例研究会を、11月9日に開催しました。

日時:2019年11月9日(土)10:00-14:30
場所:大阪大学豊中キャンパス
   全学教育推進機構スチューデントコモンズ(総合棟Ⅰ)2階セミナー室B

報告①
報告者: 西直美(同志社大学・特別任用助手)
報告タイトル:「タイ深南部におけるイスラーム改革運動と“サラフィー主義”の台頭に関する一考察」

報告②
報告者:岡野英之(近畿大学総合社会学部・特任講師)
報告タイトル:「タイに寄り添うナショナリズム-シャン人移民と武装勢力RCSS/SSA」

【報告要旨1】

西直美「タイ深南部におけるイスラーム改革運動と“サラフィー主義”の台頭に関する一考察」

2004年、タイ深南部において、タイ政府とイスラーム系反政府武装組織との間での抗争が再燃した。これ以降、深南部における紛争が、はたしてアルカイダやイスラーム国にみられるようなグローバルなジハード主義へと展開していくのかという点が関心を集めるようになっている。本発表では、タイのイスラームにおいて一般的に新旧の対立として描かれてきた問題について、それぞれのジハード理解にどのような特徴があるのかという点を中心に考察したい。

イスラーム世界では1970年代以降、政治・社会から日常生活に至るまで、よりイスラームの原典に則った改革を志向する動きであるイスラーム復興が観察されている。イスラーム復興の影響は、タイにおいて1980年代以降に顕著にみられるようになった。タイにおけるイスラーム復興に関する研究は、タブリーギー・ジャマアト(タブリーグ)とサラフィー主義を中心に行われてきた。タブリーグは、超俗的な宣教活動を旨とする北インド起源の組織で、深南部ではヤラー市内に東南アジア最大級のマルカズ(宣教センター)を設置している。サラフィー主義は、高等教育機関を軸にビジネス、チャリティ活動などを通して、とくに都市中間層の間で影響力を拡大してきた。イスラーム復興に伴って生じた動きは、「新しいグループ」の台頭という文脈で論じられ、深南部の伝統社会との間で摩擦を引き起こしてきたことが指摘されている。

タイでよく知られるサラフィー主義者は、バンコクを中心に支持を集めているシャイフ・リダと、深南部を中心に活動するイスマイル・ルッフィである。これらの指導者や、サラフィー主義に影響を受けた人々はしばしば、現地社会において否定的な意味を込めて「ワッハービー」と呼ばれる。ワッハービーやカナ・マイ、サーイ・マイとも呼ばれるサラフィー主義者は、深南部における伝統的な実践をビドア(イスラームからの逸脱)として批判し、マレー・ナショナリズムからも距離を取る。サラフィー主義が過激主義の代名詞として用いられることが多いなかで、タイにおいてサラフィー主義者はタイ政府との良好な関係を維持してきたことが知られている。

本発表では、まずタイにおけるサラフィー主義の特徴について検討し、ジハード概念に対する理解を参考にしながら深南部におけるイスラームをめぐる価値観の相違に関する見取り図を示す。そのうえで、ナラティワート県ルーソ郡での現地調査から、イスラームをめぐる価値観の相違と“サラフィー主義”の台頭の背景ついて考察する。ルーソ郡は、深南部のなかでも特にマレー・ナショナリズムが強い保守的な地域の一つとされ、深南部で展開する戦闘員のほとんどを掌握するパタニ民族革命戦線(BRN)の誕生地としても知られる。サラフィー主義の台頭と伝統社会との摩擦は、これまで新旧の対立としてのみ描かれてきた。しかし、ジハード概念を通してみてみると、相違点のみならず共通点も明らかとなることを指摘したい。

【報告要旨2】

岡野英之「タイに寄り添うナショナリズム-シャン人移民と武装勢力RCSS/SSA」

本発表では、ミャンマー(ビルマ)内戦の中で武装勢力がいかに隣国タイと関わってきたのかを論じる。特に本発表が取り上げるのはシャン人を主体とする武装勢力である。シャン人は、タイとミャンマーの両国に分布しており、いずれの国でも少数民族の立場にある。シャン語がタイ語と近いこともあり、タイからミャンマーへの移民の流れがある。少なくとも19世紀から移民の流れは見られ、その流れは現在まで続いている。これまでの研究により、シャン人移民の流れやタイ社会における彼らの位置づけの変化は、ある程度、明らかにされてきた。しかし、移民の流れがミャンマー(ビルマ)内戦といかに関わっているのかは十分検討されているとはいえない。ミャンマー内戦の研究蓄積は多いものの、ミャンマー国内の動きを把握することが中心となり、隣国との関わりまで十分に検討できていないからである。

筆者は、2016年以降、チェンマイを拠点として断続的に調査を重ねてきた。シャン移民・シャン系NGOや市民社会団体(Civil Society Organization: CSO)、武装勢力関係者(および、元関係者)・亡命政治家にコンタクトを取り、ライフヒストリーを聞き重ねた。調査ではチェンマイの都市圏内だけではなく、タイ北部各地を回った。国境地帯に行くときは、紹介者のツテで数日訪問するという形を取った。その結果見えてきたのが、ここ数十年にわたる移民の流れである。本発表では、精度が低いものの、全体像を把握することを重視したい。

 本稿で強調したいのは、断続的に続くミャンマーからタイへの移民の流れと、国境地帯における武装勢力の活動が互いに関わり合いながら進展していることである。シャン人移民のあり方は時代とともに変わってきている。1990年代初頭までは武装勢力がタイ領を用いることが可能であり、タイ側に後方基地があった。こうした武装勢力の活動とシャン人移民は連動しており、国境地帯への入植が相次いだ。しかし、1990年代半ばにシャン系武装勢力の指導者クンサがミャンマー政府に投降したことをきっかけに、大量の避難民が押し寄せた。それ以降、都市での就労が目立つようになる。現在では、内戦に伴う避難民の流れも落ち着き、経済移民が主流となっている。国境沿いに複数の拠点を有する武装勢力「シャン州復興委員会・シャン州軍」(Restoration Council of Shan State/Shan State Army: RCSS/SSA)がそうした移民とも密接にかかわっている。RCSS/SSAは、軍事基地でコンサートを開催することでその存在を移民に対してアピールしている。その一方、移民側からも支援が差し伸べられており、基地内に住む国内避難民に対しての援助が各団体や個人によって実施されている。

 こうした移民と武装勢力の関係から見えてくるのは、移民と武装勢力とのかかわりが、武装闘争への共感や支援とは必ずしも結び付いていないことである。

第30回定例研究会(5月23日)延期のお知らせ

会員各位

5月23日(土)に大阪大学で開催を予定しておりました第30回定例研究会につきまして、新型コロナウイルスの感染拡大による現在の状況をふまえて理事会で検討した結果、残念ながら延期とすることに決定致しました。

発表を予定されていた泉会員と佐治会員には、秋季(10~11月頃)に関西地区でご発表いただく予定です。今年度の定例研究会は関西で2回開催を予定しておりましたが、今回の延期のため秋の1回のみとなります。

ただし、今後の状況がどうなるのかは全く分かりませんので、秋の回、さらに来年2月に関東で予定していた回も、再延期など様々な変更の可能性があることをご留意いただければと思います。

以上の件につきまして、ご確認のほど、よろしくお願い致します。

2020年度のタイ学会定例研究会につきまして(一部予定変更有)

会員各位

2020年度の定例研究会開催予定につきまして、下記のとおりご連絡差し上げます。

例年は関東で2回、関西で1回開催しておりましたが、来年度は担当者の都合により、1回目(5月23日)も関西でおこなうことになりましたのでご注意下さい。

● 第30回定例研究会
 日程:2020年5月23日(土)午後
 場所:大阪大学
 報告者① 泉 向日葵(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研
      究科・博士課程)
 報告者② 佐治 史(公益財団法人リバーフロント研究所・研究員)

 ※泉会員には2019年総選挙のバンコク選挙区について、佐治会員には水上マーケットから捉え直すタイ村落社会の共同性についてご報告いただく予定です。詳細は4月以降に改めてご案内します。 多くの皆さまのご参加をお待ちしております。  

● 第31回定例研究会
 日程:2020年10~11月頃
 場所:関西(詳細未定)
 報告者:2人分の報告枠があります。報告希望者は末尾のメールアド
     レスまでご連絡下さい。

連絡先:日向伸介(hinata.shinsukeแอทgmail.com)
(メールを送る場合は、แอทを@に置き換えてください)

第29回定例研究会のご案内(第二報)

みなさま
今週末の定例研究会は実施する予定でおります。
そうではありますが、現在ウィルス等の感染が問題になっております。体調の優れない方や不安な方はご参加をお見送りください。


=== 第29回定例研究会 ===
日時:2020年2月22日(土)14:00~18:00
開催場所:国士舘大学世田谷キャンパス6号館1階6104教室

話題提供者(敬称略)

第1報告者:大石友子(広島大学大学院 国際協力研究科 博士課程後期)
「タイ・スリン県の“ゾウの村”におけるエレファントショーに関する一考察:クアイのゾウ使いとゾウの関係性に注目して」

第2報告者:内住哲生(首都大学東京、人文科学研究科・博士前期課程二年)
「タイ北部リスの舞踊の変容と継承:2003年の麻薬に対する戦争を契機として」

参加人数が少ないことが予想されます。ご関心のある方は、ぜひご参加ください。

第29回定例研究会のご案内(第一報)

会員各位

掲題につきまして、案内をお送りします。
奮ってご参加ください。

以下、開催場所と日時、発表内容についてご確認ください。

開催場所:国士舘大学世田谷キャンパス6号館1階6104教室https://www.kokushikan.ac.jp/access/setagaya/
https://www.kokushikan.ac.jp/information/campus/setagaya.html

最寄り駅は小田急線梅ヶ丘駅です。
世田谷線松陰神社前駅からも徒歩圏内です。

日時:2020年2月22日(土)14:00~18:00頃

話題提供者(敬称略)
第1報告者:大石友子(広島大学大学院 国際協力研究科 博士課程後期)
「タイ・スリン県の“ゾウの村”におけるエレファントショーに関する一考察:クアイのゾウ使いとゾウの関係性に注目して」

第2報告者:内住哲生(首都大学東京、人文科学研究科・博士前期課程二年)
「タイ北部リスの舞踊の変容と継承:2003年の麻薬に対する戦争を契機として」

発表要旨につきましては、こちらをご覧ください。
資料の準備等ありますので、参加予定の方は事前に、
鈴木(moken.yukiแอทgmail.com)までご連絡いただけると幸いです。
(メールを送る場合は、แอทを@に置き換えてください)

終了後には懇親会も予定しております。こちらもぜひご参加ください。
皆様のご参加をお待ちしております。