「国民」と「国家」の間ー住民登録制度から見えるもの

特集 「タイを鳥瞰する」 司会:玉田芳史(京都大学)

発表者:永井史男(大阪市立大学)

表題:「国民」と「国家」の間ー住民登録制度から見えるもの

発表内容:

1.なぜ住民登録なのか

1-1.「住民登録」:住民と国家の間をつなぐ制度的な媒介手続き。

出生、死亡、移転、 婚姻、国籍変更などに関わる

1-2.なぜ国家は住民を把握するのか?

  1. 徴税
  2. 徴兵
  3. 治安維持
  4. 市民権の確定及び市民権の行使(選挙権)
  5. 国家による国民へのサービス提供(社会福祉、社会主義国家における配給台帳)

→タイ研究の現状では、問題があまりにも大きすぎる。

1-3.タイにおける「住民登録」制度形成の鳥瞰

→何か答えられない問題や、新たな題提起ができないか?

「住民登録」が「国家」と「国民」の間をつなぐ制度的媒介手続きである以上、 タイにおける「国.民国家」形成過程とその特質を見る手がかりになるのではない か?

2.タイ国における住民登録制度(「仏暦2530年式住民登録票」)

2-1. タイの住民登録制度の特徴

  1. 根本台帳:「住民登録票」(タピアン・パーン)
  2. 用途:選挙、義務教育、兵籍登録、旅券申請、国民携帯証交付、他省庁局からの本人身元確認などに利用
  3. 1世帯に一部づくられるが、「世帯主」版と「役所版」の二つがある。
  4. 世帯毎に作る。非血縁者が同居していても構わない。

2-2.住民登録表への記載項目

①国民番号(いわゆる「IDナンパー」)、②姓名、③性別、④世帯内での地 位(世帯主、家族長、同居人の違い)、⑤生年月日、⑥国籍、⑦母の名前と IDナンパー、⑧父の名前とIDナンパー、⑨母の国籍、⑩父の国籍、 ⑪転入記録(日時、転入元住所、登録官の署名)、⑫転出記録(日時、転出先 住所、登録官の署名)、⑬世帯番号、⑭世帯の住所、⑮登録事務所番号

2-3.登録手続き

  1. 登録事務所(郡、テーサパーン、バンコク都内の区、パッタヤー特別市)
  2. 内務省統治局中央登録事務所
  3. コンピューター管理の進展:1995年以来、新式住民登録票に移行

3.住民登録制度の形成

3-1.「ラタナコーシン暦128年王国内における個人名簿作成のための法律」(1909年)

  • 首都州:1909年
  • 地方州:1915年

→「仏暦2460年世帯調査リスト審査および出生者、死亡者、区移転者登録法」

3-2.「仏暦2479年テーサパーン地域住民登録法」(1936年)

  • 1932年立憲革命→「テーサパーン」を民主主義の学校とする。
  • 記載項目・形式であまり大きな変化なし。ただし、宗教が学歴に関する記載項 目に変化あり。
  • テーサパーン以外では、1917年の法律を依然として適用。

3-3.「仏暦2499年住民登録法」(1956年)

  • 住民登録票の形式が画一化される→大規模な調査を行ったという。
  • 手続き的には、バンコク都やテーサパーン地域と、地方のタンポンでは違いが在(カムナンが登録補助官として機能)。
  • 1972年、1983年、1995年と形式面での変化:学歴欄消滅(1972年)、国民番号と世帯番号の導入(1983年)以外は、大きな変化あまりなし。

4.おわりに:「国民国家」の議論との関連

4-1.これまでのタイ研究における「国家」と「国民」に関する議論

  1. 「国家」(S畑㎏)の議論:近代官僚制の形成(官僚のリクルート、出自、公務員試験導入、俸給制度、中央・地方関係など)、独占的暴力装置の建設(警察や軍の設置;徴兵制施行;反乱鎮圧)
  2. 「国民」(N-ati㎝)の議論:いつ出来たか?(四世王、五世王、六世王、RS.103年の政治政箪上申書、ピプーンの「ラックニヨム」、サリットの「開発の時代」 etc.)、どのようにして創出したのか?(教育制度の普及、教科書分析、マスメディアと「世論」、「巡礼圏」の発生、Mappingの果たした役割)、誰が重要か?(プ リーディrピプーン、ウィチットワータカーン、王権、外国人、少数民族etc.)

→サリット政権前のピプーン政権(後期)の重要性

4-2.少数民族(山地民など)へのタイ国家の「関心」:

1950年代に入ってから(←安全保障の必要性)。「国民」としての取り込みは1990年代に入ってから。