第25回日本タイ学会・定例研究会 友杉孝先生研究史聞き取りの会

● タイにおける農村調査・研究(バーンサイ郡調査)

研究会の様子②

タイの農村調査にまた戻りますけれども、まずバーンサイ郡予備調査。バーンサイ郡というのは、この水路のずっと向こうにいったところにあります(写真1)。この水路は、人工的に掘った水路であるというのは一目瞭然で、何故かというと真っすぐですね。どこまでもこのように真っすぐにあるということ。そしてこの両脇に、ポツ、ポツって、家があるんですけれども、それぐらいであって、後はぼーっともうまっ平な土地が広がっている。ボウリング条約によって、広がった耕地っていうのはこういうところなわけですね。こういうところだから、運河ができて、土地が、それまでの荒れ地が耕地として認識されるようになると、その両側には大土地所有制が発達することになる。このアユタヤより北の方はそういった大土地所有制がほとんどないわけですが、ここでは大土地所有制がずっとあって、この向こうにまたこの真っすぐな水路があってその交差点にいろんな物が売っているとか、チョボチョボとお店があるという状況です。これがボウリング条約によって、それまでの荒れ地が耕地になっていくということを示す1つの写真で、非常に特徴的だと思います。そして船によって往来していくので、それ以外に道がないわけです。

写真1

で、ここに何日か行って話を聞いたところでは、ここら辺りの土地の所有者は、バンコクのサームセン教会です。教会が大土地所有者になっているということです。

末廣昭 :

多いですよね、アユタヤとか。

友杉孝 :

コンセッション(concession 注:土地利用権)か何かだと思います。

末廣昭 :

教会領っていうのは結構、多かった。

友杉孝 :

次にチェンマイのアジア農村です(注:「ムーバン=サンカプトング:北部タイの米作農村」(大野盛雄編著『アジアの農村』所収)の話題に移行)。

友杉孝 :

(この写真は、)後で話します刈り分けの小作ですね(大野編『アジアの農村』p.117掲載写真) 1

末廣昭 :

分益小作ですか。

友杉孝 :

分益で、こう、刈り取っちゃう。その場でもって、地主一杯、小作一杯となって、完全に二分されるわけですね。

これが村の中の、集落の中の家です(前掲書、p.128掲載写真)。家でこれは中くらいですね。これよりもっと立派な家もあるし、もっと貧しい家もあるわけですが、だいたい2メートルぐらいの床上であって、写真でははっきり見えないけどもMっていう文字がみんなあって、それはマラリアの何か予防をやっていると。

末廣昭 :

それをやったという証拠になる。

友杉孝 :

そう。こういったのがずっと並んでいる。で、その次です。

あ、これですね。これは次の集落に行くところの川にかかっているもので、ああいったもので物をこう運ぶ(前掲書、p.142掲載写真)。

末廣昭 :

何かここから水が来るということですよね。

友杉孝 :

はい。それで、天秤でもって、日本では天秤だけど、天秤棒っていうけど、ここでは竹です。両脇に篭で、これでこう運ぶ、これはハープといっているものですね。で、この水路は下流に行くと農業用水になると。で次です。

これが稲作の後ですね(前掲書、p.171掲載写真)。これは大豆を種まきしているところで、その向こうはニンニクです。後で話しますけれども、大豆だとかニンニクっていうのはほとんど小作料なしでできるという。では次。

これが村の中ですね(前掲書、p.182掲載写真)。ここはメインロードであって2メートルぐらいの幅です。この人は朝早く市場でいろんな食べ物を買ってきて、ここでもって売って、その差額でもってちょっと稼ぐというわけです。

今はムーバン・サンカプトングで、これについては、どこにあるかというのはこのお配りした資料に載っています(地図1)。

末廣昭 :

これチェンマイですね。

友杉孝 :

だいだい20キロぐらいでしょうかね。

末廣昭 :

これがサンカプトングですね。

友杉孝 :

そうですね。で、ムーバン・サンカプトングをどういう風にして調査地に選んだかというと、たまたまチェンマイで知り合った人のパートナー、奥さんの実家がここにあるということで行ったわけです。私が何かの条件をつけて、こういう条件だからここに行くというのではなくて、たまたまそこに行くことができたから行った。このサラピーというのは、チェンマイ美人の産地というか里で、有名であるというのは知らなかったんですね。でありますから、そういうことで行ったわけでは決してないのであって(笑)、たまたま知り合いがいて出かけたというわけです。

当時、ムーバン・サンカプトングを調べるという時に、タイの地域研究で一番中心的な話題は、エンブレー(John F. Embree)、アメリカの文化人類学者が、タイを、” Thailand – a Loosely Structured Social System” といったいい方をAmerican Anthropologistに発表したことでした 2。「タイはルーズである」ということが当時の中心命題であったわけですね。ルーズである、締まりがないといったような話で、コーネル大学がバンチャン、バンコクのちょっと北ですね、を論証すべくチームで研究して、そして「ああ、やっぱりタイは締まりのない、ルーズである」といった論議が中心にあったのです。

それに対してですね、そもそも社会にあってあらゆる面で締まりがないなんてあり得るかという議論もあって、本が1冊出ております。私自身も、(エンブレーの議論は)タイを印象的に述べているという部分はあると思います。

末廣昭 :

先生が言われている本というのは、エンブレーをめぐった本ですよね。論文集みたいな。

友杉孝 :

論文集になっていますね 3

友杉孝 :

エンブレーを擁護するものと反対するものと両方あるわけですけれども、そもそもエンブレーが、タイをルーズと言ったのは、彼は日本研究者であるからです。熊本県の須恵村について詳細なモノグラフを書いている人です。熊本県の須恵村の村落共同体を見て来た人が、タイの農村社会を見てルーズだと言ったのは頷けるわけですけれども、しかしルーズっていうのは、タイトだとかクローズドとかの対比語であって、(色々な)意味を持つわけですね。そんなことからですね、私はやっぱり、タイで日本と同じような村落共同体を探したら無いからルーズだということになるんだろうけれども、タイはタイとしてきちんとした秩序ある決まりある社会であるということから、” Thailand – a Loosely Structured Social System”というのは、命題としては具合が悪いと思っています。

ともあれ、そんなことを頭におきながら、このサンカプトングに行ったわけですが、さっき話しましたようにチェンマイの知人の奥さんの実家である。そこで調査を始める前にサラピーの郡役場に行って、まず郡役場で郡長に挨拶して、郡長に私が調べたいところ、小さな区のムバーン(注:村)の区長宛に紹介状を書いてもらった。これは、1つは何もなしに(調査を)やっていて、変な奴がいるといって郡役場に通報されるのは困るといった心配もあったけれども、それ以上に、役場からの紹介状を持つことによって、「あいつなら話しても大丈夫だ」というようなこともあろうかと思って、ともかく郡役場に行った。そういう紹介状を持って調査を始めたわけですが、調査する前に、私は「マノップ」という風に名乗ったわけですね。これはよくもそういうことを言ったなとも思うわけですが、マノップっていうのは若い男というわけですね。若い良い男というような意味を、ニュアンスを含んでいる。今、日本で言えばイケメンといった言い方もあるんですけど、自らイケメンを名乗るっていうのはまああきれた話ですけれども(笑)。ともかくそういうことで、人に何とか親しんでもらおうとマノップを名乗った。

そして、まずはその集落全体を歩くということで、次の写真をお願いします。これですね(地図2)。これは集落のもので、同時に集落の農事歴を示しているわけです。真ん中に牛車が通れるような道があって、そしてその脇に小川が流れていて、その小川が農業用水にも引かれるわけです。二期作で、(コメが)2回できますから、3月、7月に水牛で田起こしをする。そして7月と10月に刈り取りするというのがこの農事歴ですね。

この集落の中には、ヤシだとかバナナが生えていたり、果樹園があったりしております。そしてまた集落をずっと南の方に行きますと、キリスト教の教会があるんですね。私はキリスト教の教会があるというのは行くまでは知らなかったんですがキリスト教会があって、その教会を過ぎて行くとランプーンに入って、そこに寺院があるというわけです。そしてこのランプーンとかチェンマイとか何とかそういったのは、行政区としてはそこで区切られているけれども、集落だとか人々の生活としてはそういった境界はなくてみんな繋がっているわけです。

それから教会と寺院があるけれども、2つの間ではみんなそれぞれの人が集まっていて、いわゆる宗教による軋轢は全く見当たらない。話を聞いてもそれは「セーリー」、つまり自由であるということです。ここでもって村の生活を眺めていると、例えばここに、この集落の中に精米所があってその近くの人がその精米所を利用してその料金は糠を全部そこに置いていくとか、あるいは米1タング当たり50サタンだとかを置くわけですけれども、朝7時から夕方暗くまで働いている。

見ているともうみんなすごく勤勉なわけですね。私が一番怠け者じゃないかと思われるぐらい勤勉であるわけです。さっき話した小川の維持も共同労働で行っていて、年1回の共同労働に必ず出ること。それは農業用水になっていて、この小川の元をたどれば、チェンマイのすぐ南にあるところから水を引き入れているわけです。全部共同労働で行っている。

この調査をしながら、私の目でもって6つの階層に分けてみたわけですね。お配りしている資料にもありますけれども、これは世帯基本表で、81戸の世帯がありましたから、この81戸の世帯を、土地所有を基準にして分けていくことを試みたわけです。6つに分けていくといろんなことが分かる。私はこの階層1の中の世帯番号68のトット・ハンチャイさんの家に泊まらせていただいていたわけですが、それぞれの家の所有面積だとか水牛だとか家族数、それから家族構成、どこからそれぞれ来たとか、あるいは今何を職業としてやっているかということを、全部聞き取りして一覧表にしました 4

これを見ていきますと、だいたい傾向として上層の1とか2の子供は、サラリーマンとして都市に移住してしまうとか、都市に移住して、ある人は裁判官になったとか、教師だとか医師だとか牧師だとか公務員など、高い教育を受けてそういう職業に就いていく。それから下の2つの層の人は大工だとか土木工事だとか女中だとかである。あるいは女性ならば朝市で買ったものを行商で売って歩くといった、その階層によってどのような職業だとか、それからその後どういうふうになっていくかということが、ある程度これでもって見られるということです。

私が行った時にはまだ開通していなかったんですが、ここには高速道路ができて、今はものすごく便利になった。これによってまたサンカプトングの社会が全く変わっていったのではないかと思われるわけですけれど、その後は調べてはおりません。すごく懐かしい気がして、行ってみたい気はするけれども、結局行けなかったというわけです。

それから論文ですが、石井先生が編集された『タイ国:ひとつの稲作社会』 5という本が出て、そこで私は「チャオプラヤー・デルタの稲作と社会」という論文を寄稿しています。デルタの自然条件、自然条件といっても地形と降水量を主要にしておりますけれども、それから歴史的条件、それはボウリング条約などですね。それからデルタの特に上流部、アユタヤから北の農村社会の定常社会の性格についてここで話しているわけです。当時はまだ定常社会という言葉もなかったぐらいで、結局デルタ上流部の農村社会がそれなりに完結した1つのまとまった世界であるという印象を論文にしました。

その次に1980年にアジ研から英語の論文で “A Structural Analysis of Thai Economic History” というのを出していますけれども 6、これは共時的レベルの研究と通時的レベルの研究、つまり現在の研究と歴史研究をどういう風に関連づけるかという試みであって、あまり成功していないんですね。我ながら残念に思うけれども、成功していないけれど、現代農村社会を聖と俗の2つの面で記述していくことを試みた。つまり、聖はお祭りやお寺であります。俗は農作業とかいろいろあって、そういうものの組み合わせで研究していくというのに対して、(その2つだけでなく)もう1つ(注目したのが)カオスですね。お祭りの時の乱痴気騒ぎだとか何とかという要素を入れることによって、もっと動態的に、ダイナミックに記述できるのではなかろうかということで、この聖俗の二項対立に対して、ノモスとコスモスとカオスといった三項対立で農村社会を記述できないかということであったわけです。今思うとあまりにも形式論理に走りすぎて、どうも著者の意気込みで終わっちゃったという風に思います。

脚注

  1. 大野盛雄編『アジアの農村』東京:東京大学出版会、1969年。
  2. Embree, John F. 1950. “Thailand: A Loosely Structured Social System.” American Anthropologist 52(2): 181-193. doi: 10.1525/aa.1950.52.2.02a00030.
  3. Evers, Hans-Dieter ed. 1969. Loosely Structured Social Systems: Thailand in Comparative Perspective. New Haven: Yale University.
  4. 友杉孝「ムーバン=サンカプトング――北部タイの米作農村」(大野盛雄編著『アジアの農村』所収)東京大学出版会、1969 年、pp.187-190、を参照のこと。
  5. 石井米雄編 1975.『タイ国:ひとつの稲作社会』東京:創文社.
  6. Tomosugi, Takashi 1980. A Structural Analysis of Thai Economic History: Case Study of A Northern Chao Phraya Delta Village. Tokyo: Institute of Developing Economies.